採用人事系フリーランス/Segurosの日記

採用人事系フリーランスの「現場」からみた、採用・転職・働き方・生き方のリアルを発信

フリーランスになろうとして失敗した件①

「僕は、フリーランスになろうとして2回失敗しました」

 

1回目は2009年。2回目は2018年。

それぞれ会社員を辞めて、フリーランスになろうとして

うまく軌道に乗れなったのは、(当時は)辛い経験でした・・・

(毎日、そろばん勘定をしながら、「これだと家族が生活できない」と危機感満載になったり、

うすーい縁を頼って人に何か仕事がないか相談に行って

お茶だけ飲んで「また何かあったら紹介するね」と言われて落ち込んだり。

またそのような辛い経験や思いは別途記事にしますので、

今回はフリーランスになろうとして失敗した概要と要因を記事にします。)

 

フリーランスでやっていこうと試みた1回目は、

2009年~2012年。

当時勤めていた会社が倒産したところからスタートしました。 

 

 

1.新卒で入った会社がリーマンショックで倒産

2009年のリーマンショックが起こったとき。

当時、私は求人広告の営業(課長)をしていたのですが、

景気後退に伴って会社の業績がガタ落ちに。

GMOインターネットという東証一部上場企業のグループでもあったので、

赤字企業の存続は意味がないと、事業撤退=倒産、という運びになりました。

 

その時、強く感じたのは

「会社や商材の価値で出した実績には意味がない」

ということでした。

リクルート社の業界トップシェアの商品(リクナビNEXTリクナビ)を扱っており、

またリクルート社の求人部門のトップ代理店でもあったので顧客も優良。

会社のMVPや500名の営業の中でトップなど、多数表彰もいただきましたが、

自分の営業力とは別の部分で売れていたのだな、と痛感しました。

 

そこから、「自分の力(だけ)で生きていけるようになりたい」

という思いが強くなり、そのためにどうすればいいか?が

次の選択軸になりました。

 

2.プルデンシャル生命保険ライフプランナーになる

倒産後に無職となり、ハローワークに通いながら、

最初はいたって普通の転職活動をしたのですが、

6社の内定を断り、6か月間かけた転職活動の末に選んだのは、

プルデンシャル生命保険ライフプランナー(営業)でした。

 

生保の営業、というと(本音では)嫌われる仕事だと正直思いますし、

転職支援をした経験からは、なかなか転職市場価値的に

難しさがあるキャリアだと思いますが、

面接の中で、「人生の方向性と、仕事の方向性が一致する」という言葉と、

「週に2回のMTGに出席したら、後は好きにしていい」という働き方に

強烈に魅力を感じ、親族や家族、友人の反対を押し切って入社をしました。

(さらに、「仕事に集中するには家族と離れなさい」という、

当時の支社長さんの言うことを素直に聞いて、

品川に単身赴任をし、妻と当時1歳の長男を3年間、

京都の実家に引き取ってもらう、という行動までしてしまいました笑)

 

 ちなみに、プルデンシャル生命保険ライフプランナーは、

フリーランスと会社員の中間のような働き方で、

個人事業主の登録をする

・厚生年金や健康保険は会社員同様

・ただ、報酬(給与ではない)は完全歩合制

といった形でした。

個人事業主登録をするのと、スタイル的には

フリーランスに近いので、自分の中ではフリーランスとして位置付けています)

 

3.失敗したこと

①売れなかった

2年半ほど稼働しましたが、

何より自分が想定するより全然売れませんでした・・・。

営業ランキングで3500人いる中で2500~3000番なので、

下位20%。かなりダメな営業でした。


②逃げた

売れないとどうなるかというと、

組織にいづらくなり、自信もなくなり、

会社に行くことを避けるようになりました。

(趙体育会系組織なので、売れないと立場はない)

 

そこで、自分が興味があったキャリア教育など、他の分野に逃避。

ラジオのキャリア関係番組のパーソナリティをしたり、

学校で授業をすると、

本業で満たされない承認欲求が満たされるという、自己満足。

(当時もキャリア教育への興味関心は本当ですが、

今もたまにFacebookなどで、中身があまりなさそうなのに、

盛んに承認されんがため、自己満的に発信している方々を見ると、

昔の自分を見ているようで、心が痛くなります)

 

他にも何とか売れようとあがいて、

(ありがちな)外部の高額営業セミナーに参加してみても、

それは一時的な高揚感を得るだけで、全く効果なし。

 

別に〇億円の報酬を得ることや、

エグゼクティブライフプランナーになることが成功だとは言いませんが、

とにかく、

仕事も、生活も、家族も、幸せではなかったなー、と思います。

よくある、「あるある失敗例」の一人です。
※もちろん、いろいろな人との出会いや、

経験や視野が広がる、

自分のこれまでの人との付き合い方などの在り方を省みること、

などなどを通じて、大きな学びはあり、今に活きています。

 

4.失敗の要因はコレ

では、なぜ私は生保営業というフリーランスで失敗したか。

それは、 自分に「合わないことを、合わない場所」でやってしまったことが、

大きな要因だと思います。

 

・What:商材が合わない(生命保険に強い興味関心がない)

・How:営業スタイルが合わない(友人・知人から鉄の心で契約や紹介をもらう)
・Why:そもそも、金銭的報酬が最優先欲求ではないのに、金銭的報酬が仕事の原動力である場に入ってしまった。

かろうじて、Who(誰に営業するか)の部分は、

金銭的なプラン立てを通じて個人の方の価値観に触れることができたので、

私の志向性と合致していましたが、

他にも服装とかかっこつけるのはいやだけど、

皆の真似した(ハンカチーフ、カフスとか服装から)などの

細かいミスマッチもありました。

 

要は、自分は何に向いて、何で価値発揮ができて、自然体で無理しないでやれるか、

をわかっていなかったし、周りに流された、という自分の問題です。

※なお、生保営業が良くないとかではなく、その仕事にフィットする人や

顧客に価値発揮されている方も当然多数いらっしゃるので、

自分が間違った選択をして働いてしまっただけということです。悪しからず。

 

【まとめ】

この1回目の失敗からの教訓は、

「自分に合わないこと(柄にもないこと)はしないでおこう!」です。

 

私のプルデンシャル生命保険での失敗、

それはフリーランス的な自由な働き方や、

顧客の価値観等に触れる部分はフィットしていましたが、

 

・商材(生命保険)や営業スタイル(to C/新規開拓/紹介営業)が

 決定的に合わないし、興味が持てないという点と、

・〇億円稼ぐとか、仕事のモチベーションを金銭的報酬へ

振り切ることに興味が持てない、

 

といったことをなんとなく直感で感じながら、

親族を説得して、「成功」(成功ってなに?!と今なら突っ込みたくなる)のために、

また倒産経験から「自分の力一本で生きなきゃ」と考え、

ここで頑張って強くなるんだと決めつけ、

他の選択肢を検討したり、

柔軟に方向転換したりできなかったことです。

  

高い理想に燃えすぎたり、

自分を無理に鼓舞したり、

背伸びしすぎたりするのではなく、

自然体でできることや、求められることをするのが

フリーランスになるのであれば、大事かなと思っています。

(安定・継続・信頼されるために)

 

あ、あと本人が思う以上に、

目の前に選択肢はたくさんあり、

時間軸をずらすだけで(もう少し待つとか)、

新たな選択肢や展開が見えてくることもあると思います。

そんな余裕を持つことも大切だなと、今は感じます。